11月5日 2010年

 

 

 

順調にタロットを勉強して実践してきましたが、10月は母が生死の境をさまよい、お見舞いに仕事と日常生活の時間以外ほとんどの時間を割いてすごしました。片道3時間近く、電車に揺られて病院で4時間から5時間過ごし、また電車に揺られて帰る。ということの繰り返し。電車の中では本を読んだり音楽を聞いたり。母の命に関わる状態の時は病院に泊まり、電車内では自然と涙があふれ、本を読む気には当然なれず、、、


そんな日々を過ごしていたら、タロットで他の人を見てあげよう、なんで気持ちには到底なれず、会社では知らない部署の人からもうわさをきいて鑑定を頼まれていたくらいなのに、この一ヶ月は見事に頼まれませんでした。 きっと私のオーラがそうさせていたのでしょうね。


それに私の鑑定力もうんと力が弱っているように感じます。
ある意味自分に余裕がないと 人様をみる状態にはなれないということ。


母は74歳遅かれ早かれその人生に幕を閉じます。

こういう風に納得できるまで、ずいぶん時間がかかりました。いくつになっても母と娘。

 

 

その死を受けいれるにはやはり時間が必要だったのです。(まだ生きていますが、、、)

いやだ、死なないで!と叫びたい本当の気持ちと、年齢なんだからさらりと受け入れなさい、と言う大人のたしなみとしての気持ち。

どちらも自分の中にあり、きっと大人として振舞うのが正しいのは分かっているけれど、自分の中で消化仕切れない部分もあって、、、


そういうときには他の日常生活でもつらい、とされることがおきるもので、
何かとしんどい日々を過ごしているけれど、それも気持ちの問題、と大人ぶって無理をして。


自分の欲、欲望、を通したい、と思うからつらいのであって、そんなものすべて流してしまって、
あらゆるものにこだわりを捨ててしまえば楽になる、と言うことも知っているので、
自分に言い聞かせ、言い聞かせ。


楽に過ごせるようになるには もう少し。もう少し。
私の気持ちの精進と時間が必要。

 

 

11月30日

 

 

最愛の母が11月15日に亡くなりました。

 

なくなってみて初めて 母が最愛の人だと気付きました。

 

亡くなるその瞬間には家族は誰も間に合いませんでしたが、

その前日に私は母のベッドに添い寝をして、返事の出来ない母に

「なんだかいろいろなことに気づくのがおそいよね。ごめんね。愛してるよ。」と語りかけていました。

 

お別れがすぐそばに来ているとは知る由もありませんでしたが、

心の奥底で感じていたからこその会話だったと思います。

 

そして今日は11月30日。

日常がすぎていくのはあまりに早く、無常で。

 


合掌。

 

 

12月11日

 

魂は自由でいいです

母が亡くなって少しの骨を自宅に持ち帰り、毎日お線香やお茶をあげていますが、ふと母が好きだった食べたいものを買って来て、母の写真の前で食べてみる。「おいしいね」なんて声をかけたりして、本当に一緒に食べた気になっています。

生きていたころは好きなものでも 送らなければ本人の元には届かないし、糖尿の心配もあるし、なかなか一緒に美味しい思いをすることはできませんでした。 

でも今は一緒です。おはようを言ってもただいまを言っても言葉が母に届いているのを感じます。


母を愛していた人、皆それぞれが身近に母を感じ、一緒に生きているんだなと想います。


生きている時よりもずっと近くに感じるのは 死んでしまった人ならではの特権かもしれません


タロットの先生が言ってくれました。

今 私のそばには母がいる。と

12月20日

母が入院していよいよ具合が悪くなっていたときはタロットどころではなく、気持ちも完全に占いの世界からは離れてしまっていました。 それが、それが、

12月になってすぐ、占いのイベントに参加する機会があり、その後もちょっと神様のいたずらとしか思えない出会いがあり、もしかしたら なんと、私のために占いのイベントがセッティングされるかもしれません


それもこれも運命の輪のなせる業 
そばについている母の計らい



占いイベントが実際にやれるかどうか、タロットで見てみると、、、イベントは確かに行われ、成功に終わる、と出ています

この占い、当たるといいなあ


自分でも気付かないところで運命の輪が回っているのかも知れません。
今、タロットをやっているお陰でその感覚が手に取るように分かります。


本当に運命の輪を回せるかどうかは、自分次第
楽しんで大きな輪を回してみたいと思っています

6月12日

夕べ、夢に母が出てきました。

 

久しぶり、と言うより、夢に出てきたのは2回目です。

 

家族や親せきがみんなそろって、記念撮影をしていました。

 

まるでクラス写真を撮るようにみんなで並んで大人数で撮っていたのです。

 

ちょっとひねくれものの母ですから、その撮影の輪には入らず、

 

「みんな、どうしたの」

 

なんて顔をしてみています。

 

そして、皆が気づかないうちにスーッと後ろへ歩いて行ってしまいます。

 

私は必死で追いかけて、両手で母を抱きしめました。

 

「だめ、だめ。行っちゃだめ。」

 

そう言ってはじめて母があちらの世界へ行こうとしていた事がわかりました。

 

 

母は何も言わず私をじっと見つめていました。

 

 

ごめんね。まだ あちらの世界へは行かないでね。

 

もうしばらく私のそばにいてね。

 

 

 

ちょっとだけ若くてちょっとスリムな綺麗な母でした。

 

洋服は良く着ていたえんじのセーターで、長めの花柄のスカートをはいていました。

 

 

 

 

 

6月29日

この間夢に出てきたばかりなのに、また。

 

 

今度は 靴を買いたいと言って、一緒に靴屋さんへ行きました。

 

足がむくんでしまっているので、歩きやすい靴が欲しいと。

 

おしゃれで気に入ったものがあって、ためし履きもバッチリして、買っていました。

 

 

 

私は 足にあうのと、気に入ったデザインのものがなく、

 

買う事は出来ませんでした。

 

 

 

その靴を履いて、何処へ行ってしまうの?

 

 

 

 

 

7月

 

 

 

今月は何回か母が夢に登場。

 

もう、内容は忘れてしまったけれど、それは他愛もない内容だったということ。

 

ああ、成仏してしまったんだなあ。

 

と 複雑な気持ちです。

 

人は成仏すると 何処へ行ってしまうのでしょうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

11月15日 命日

母が旅立ってちょうど1年。

 

まるで昨日のことのような気がします。

 

今日 姉に 「命日だね」とメールをしました。

 

母の亡くなった正確な時間を知らなかったので、教えて、と書き加えて。

 

母が亡くなったのは10時10分だそう。

 

私がメール送信したのは10時11分。

 

姉はとても驚いたと。言っていました。

 

引き寄せあったのですね。 

 

もう生きていなくても、いいえ、生きていないからこそ

 

引き寄せあって、生きているのですね。

 

そんなことがあると

 

母がいつもそばにいるのが実感出来ます。

 

 

 

最近やっと母の写真の前で手を合わせる事が出来るようになってきました。

 

 

 

 

 

6月3日 2012年

1年半が過ぎました。

 

嬉しいことがあると 無性に会いたい、話したい という気持ちが強くなり、

気持ちの持っていく場所がなく 困ってしまいます。

 

昨日 感じたこと。

 

母がいなくなった その 心の穴は

まだまだ 全然 塞がっていなく、

その傷口は すっかりそのままで、むしろ 赤くヒリヒリしたままのケロイド状に

なっているんだ、という事。

 

私は未だ 死を受け入れたりはしていない。

 

人は必ず死を迎えるのだから、

それを恨んだり わけもなく悲しんだりは全くしていないけれど、

 

受け入れるか否かは 全く別問題だと。

 

 

だから 私はまだ 

 

 

母の死について語る言葉を持たない。

 

母ではない他の人の死についてでさえも 

語られる言葉を 聞く 耳も 持っていない。

 

 

 

 

 

 

 

 

7月3日 2012年

困ったことが あっても 話がしたいのね。

きっと 相談したいのね。

 

母だったらなんて言うんだろう?って。

 

自分で解決策が見つからないから

頼っている。

他に頼る人っていないもんだなあ、って言うのが実感。

 

本心を包み隠さず言って

なおかつ 誤解される心配のない人って

そうそういるものではないのよね。

 

生前 悩みを打ち明けて

有効な回答をもらえた覚えもあまりないけど、

ただ ただ 話が出来るだけでいいんだな。

 

2~3時間 長電話 したものね。

 

 

 

「会いたかった」と言ってくれた

あの最後の言葉が

今更ながら 耳からはなれないよ。

 

2012年 11月

 

ぐっと冷え込んできたら 病院に通っていた頃を思い出した。

 

私は痛いところをさすってあげられたかな?

もっと もっと 痛みが消えるまでさすってあげられたら良かったのに。

 

足や手のマッサージは 行くたびにやってあげられてよかった、と今 改めて思う。

 

思い返してみると 病室に流れる静かな空気は

むしろ 2人のあいだに心地よく流れていたような。

 

天気のいい、秋晴れの日の窓からの景色。

どんより曇った 薄ら寒い日。

 

小雨降る中 コンビニへ私の食べ物を買い出しに行ったこと。

 

最後に ハンバーガーと珈琲を口に入れてあげられたこと。

 

もっともっと 。。。

 

 

4月1日  2013年

 

 そういえば 腱鞘炎のあなたは 親指がひくひくと 動いていたのよね。

 

 昨日 久しぶりに実家へ行って 

 あなたが座っていたソファに座ったとたん 

 私の親指が ひくひく、ひくひく。

  

「アラヤダ。 こんなとこに母が!」 

 

 なんて思わず口に出して 手をブルンブルンと振ってしまって。。。

 

 しまった。 

 もう少し ひくひくさせておいて

 ここに 居てもらえばよかったのに。

 

 しかも 「アラヤダ」 なんて。

 全然 ヤ、じゃないのに。

 

 むしろ そんな事で存在を感じて

 来て良かった。 

 と 思えるのに。

 

 この次 親指がひくひくしたら

 じーっとしてるから。

 会話、しようね。

 

 報告したい事、 いっぱいあるのよ。

 

 

 

2013年10月30日 18時43分

 

さっき父が亡くなりました。

 

ご飯が食べられなくなって、それでも意識はまだしっかりとしていると

連絡をもらっていたので、来月3日に会いに行く予定でした。

 

危篤の連絡をもらってその直後に亡くなってしまいました。

 

父とは。。。

 

子供のころ、お出かけして横浜駅からバスに乗って うちの近くのバス停で降りる時、

バスで眠ってしまった私は父の背中におぶわれて、うっすらと目が覚めては居るものの

このままでいよう、と想った記憶。

 

もう少し大きくはなっていた頃、車でお出かけして家に着くころ、

駐車場に入る時のハザードの音で意識が戻って、ああ、家に着いたな、という記憶。

 

結婚式が終わって、後にも先にも人生で初めて

「お父さん、ありがとう」と心から想って感謝を言えた事。

 

胃がんで手術した後、あまり体調のすぐれない母の代わりに

お見舞いに行ったこと。

 

母と違って、想い出として残った記憶が幾つかあって、

まだ生きていてもそれは既に思い出で、

亡くなってしまったら それはもう完全に思い出になってしまって。

 

波乱。

そんな人生だったのでしょうか?

 

合掌

 

 

 

2013年12月15日

 

12月4日に父がお墓に入りました。

姉と姪と私の3人でお墓に入る父を見送りました。

 

人の最期は生きざまなんだな、って。

 

ひっそりとお墓に入っていく父が

人生で何を残せたか、何を私達に教えてくれたか、

まるで何もなかったかのような静かな気持ちで考えながら

横浜からの帰路に着きました。

 

合掌

 

 

 

2014年4月25日

 

4月22日は総持寺に納骨でした。

 

納骨前の気持ち

 

納骨されちゃうの、すごくいや。遠くへ行ってしまう様な気がするから。

今まですごく近くに感じてたのに。

一番行きたかった、好きな場所に行っちゃうから、きっと静かになっちゃうね。

もう、戻って来ないんだよね。だって、そこは一番行きたかった場所だもんね。

 

お墓に入る前々日、一緒においしい物を食べる夢を見ました。

一緒に「美味しいね」って言って、

にっこりして、心が通い合った気持ちになれたのよね。

うん。確かにお互いの気持ちが通じ合ったと思う。

 

納骨後の気持ち。

 

納骨の日は寒い雨になるという天気予報も見事に外れて、お日様も見え隠れするほど、あたたかな日になったね。さすが天性の晴れ女。

納骨が済んでしまえば、いつもと同じにお線香とお茶をあげる毎日。

でも、毎晩夢に現れて、ニコニコ笑って安心させてくれる。

まるで「ここにいるよ」って、伝えるかのように。

私の家族の皆を見ていてくれる、そんな夢を毎晩見ている。

 

法事でみんなが揃って、親戚が集まる。繋がりが持てる。

そうやって人と人を繋げて行くのが人の死でもある、と今更ながら実感。

 

合掌

 

2014年8月15日

 

この日の夜に両親そろって夢に出てきました。

2人そろってのお出ましは初めて。

 

お墓は別々に入っているのに、二人一緒にもとの実家のようなお家に住んでいました。

 

あれ?

今二人は一緒なの?

それともお盆だから、一緒に過ごしているの?

 

夫婦のことってわからない、っていうけど、

貴方たち夫婦も不思議な関係だったものね。私たちの想像を超えているのかも知れないね。

 

 

9月20日 2014年

 

苦しいなぁ。

でも、もう相談できる母はいなくなっちゃったものねぇ。

母に言ったからっていつも心配事が解決したわけではないけれど、話が出来る、それだけでよかったのよね。

10月1日 2014年

 

急展開の局面で気持ちが付いていかず、空っぽ状態。

そんな時母だったらどんなふうに声をかけてくれたんだろうか?

 

母が人生のそういう局面にいたときに、子供として娘として満足な言葉をかけてあげられていなかったことに今更ながら気が付いた。

きっと母は母なりに孤独と戦っていたのだろう。。。と。

母親は悩んだりしない、という大前提があったのかもしれない。

母は強し、なんて言葉に惑わされていたね。

 

本音を言いあっていなかったのかなぁ???

 

今更ながら、あの時の「会いたかった」という言葉が心に沁みる。。。

1月6日 2015年

 やっぱり夢だと夫婦そろって出てくるね。

2人は一緒にいるのかな?

まあ、出てくるシーンは別だから一緒にいても距離はとっているんだろうね(笑)

 

母の体の暖かみを味わえる夢で(体が触れ合っていたからね)とっても安心感を感じて嬉しかった♡

柔らかいからだと体の熱をじかに感じる事が出来た夕べの夢。

でもあんまり会話はなかったかな。。。

 

シーンが変わって足の悪い女性を駅に送る時に途中から運転していたのが父。

車の運転=父みたいな印象がどこかにあるのかしら?

 

もっともっと頻繁に逢えたらいいのに。



6月15日 2015年

 

私が夫と結婚をした時、母は私の夫に言いました。

 

「バトンタッチだね」

 

結婚を機に私というバトンは母の手から夫の手に渡されたのでした。

 

偉そうなことを言っていても私は結局生まれてからずーっと、いつもいつも誰かに守られながら暮らしているのです。

 

先週、娘が一人暮らしを始めました。

 

私たち夫婦は、もしくは私は母親として彼女をずーっと守ってきた。きたつもり。

 

その自覚はあまりなかったけれど。。。

 

引っ越しを手伝ったり、引っ越したばかりの小さな部屋の小さなキッチンでご飯を作ってあげたり、段ボールをテーブルにして一緒にご飯を食べたり、夜彼女を一人新しい部屋に残して家に帰ったりしてみたら、「ああ、私はこの娘を守ってきたんだな」って想ったから。

 

本来なら私がそうだったように彼女の手も誰かにバトンタッチできたらよかったのに。

 

娘は守られるその手を誰ともつながず母親である私や、夫も含めた私たち両親のもとから巣立ってしまった。

 

だけど、巣立ったけれど、まだ渡されていないバトンは残っている。

 

まだなんだ。まだ。

 

女の子は必ず誰かに守られ続けなくてはならない。と強く思う。

 

かつての私、そして今の私がそうであるように。

 

娘よ、いつも必ず幸せであれ。

 

 

 

2016年 11月12日

 

7回忌

 

昨日までの真冬のような雨と気温は一転して、20度に迫るくらいの温かい穏やかな一日。

さすが晴れ女。

 

7回忌の法要で総持寺に集まったのは、姉とその娘。私とオット。息子と娘。

 

5人だけでの7回忌。

 

いつものように大粗堂での読経。

 

子供のころから聞いているお経は、年を重ねるにつれて心地いい響きになってきている。

 

こういう供養をする日は、きっと故人とのつながりがとても深くなるのでしょう。

 

朝から気持ちがしーんとして、アップダウンしている。

 

今日は、母が毎日していた赤サンゴの指輪をしてみる。

やっとはめてもいいような気持ちがしたから。

 

左手にはいつものように祖母のエメラルドの指輪。

 

イヤリングは祖母が亡くなった時に母がおそろいで買ってくれたパールのイヤリング。

 

それぞれの石にそれぞれの人の想いがたくさん詰まっている。

 

わたしの大切なパワーストーン。

 

形見の石を身に着けると、

 

否応なく母の存在を感じられて、今日ばかりは心がシュンとなる。

 

過ぎ去った年月はともすれば遠い日々になりつつあるけれど、

 

その日に聞いていた音楽は忘れていないし、

 

その頃の気候も忘れていない。

 

7年の間に、子供たちもずいぶん大人になって。

それぞれが自分の足で歩いていかれるところまでやってきている。

 

じゃあ、私は?

 

 

 

2017年 3月26日

 

娘はただいま絶賛人生模索中。

私と彼女とのコミュニケーションは全くもってうまくいっていない。

 

そんな時母なら、なんていうのかな?は近頃の私の疑問。

ずっと模索していたその疑問に答えが見えちゃったような出来事が。。。

起きたのです。

 

彼女は今まで目指していた職をあきらめて、派遣登録して事務を始めた。

その仕事はどんな仕事なのか?どれくらいの日数働くつもりなのか?に関して質問をしても、はっきりとは答えてくれない。

 

きっと言いたくないのだろう、と半ばあきらめの気持ちでいるしかありませんでした。

親元を離れて暮らす彼女の生活基盤について何も知る手掛かりがなく、不安が募っていたその時、、、

 

ちょうどそのタイミングで、

息子が金沢旅行に行くので、以前金沢へ行ったことのある娘に連絡をとったのです。

すると、彼女の派遣先に息子の小学校中学校が一緒だった親友がいる、との話が。。。

 

息子は後日親友に確認すると最近新しく入ってきた女の子にそれらしき子がいる、と。

 

間違いない。

息子の親友の働く会社で、娘は働いている!

 

なんという偶然。

何万、何十万とある会社、広い東京で、図らずも知った者同士が偶然働くなんて!

 

息子が親友から娘の働いている様子を聞いてくれて、

母である私はホット一安心。

 

神様の見事な采配にあっぱれ、と思っていたのです。

 

 

で、そのことを主人に言ったら、「そう計らってくれたのは神様じゃなくて、母なんじゃないの?」

と言っていたのですが、

私は「そうなのかな~?」と一笑に付していたのです、、、

 

そして、昨日。

 

愛用している母の遺品のスカーフ。

タグが外れそうになっていたので、注意してそのタグを見ると、、、

 

先月の事です。

私は、スカーフが欲しくて、デパートを歩いていました。

その時に欲しいなぁ、と思ったスカーフがありました。

 

けれど、そのスカーフ、あまりに高額で私の予算を超えていたのです。

お家に戻ってHPを見て、買うのをあきらめ、ため息をついていたのでした。

 

そして、昨日、

タグをみてハッと気が付きました。

 

母のスカーフは私が欲しいと思っていたブランドのスカーフだったのです。

 

母の存在を強く意識したその時、

母が「ほら、私だよ」と言っているような気がしました。

 

やっぱり。

 

こんなふうに力になってくれていたんだなぁ。

 

 

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